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大阪高等裁判所 昭和39年(ネ)1374号 判決 1967年4月28日

控訴人 嶋中悦子

被控訴人 晒義弘

主文

原判決を左のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し金五〇万円およびこれに対する昭和三四年三月一七日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

この判決の主文第二項は仮りにこれを執行することができる。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金一〇〇万円およびこれに対する昭和三四年三月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決と仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の主張、証拠の提出、援用、認否は

控訴代理人において、

一、控訴人が被控訴人の治療上の過失によつて被つた傷害は鶏卵大以上の大きさで著しく他人の注意を惹く程度の、しかも生涯消失することなく残る顔面部における醜状痕であつて、女子である控訴人は右傷痕によつてすでに小学生当時から容貌に関し劣等感を抱いており、将来成長するにつれてますますその劣等感を強くすること、またある程度良縁を失うであらうことも想像するに難くない。かように控訴人は本件受傷によつて精神上甚大な苦痛を被つたので、被控訴人は控訴人の右苦痛を慰藉するため相当の慰藉料を支払うべき義務があるところ、被控訴人は控訴人に対し何らの誠意を示すことなく、終始その責任を回避することに狂奔し、控訴人を困惑焦慮せしめたことも、また右慰藉料算定の資料となるべきである。右諸般の事情を斟酌すると、これが慰藉料額は一〇〇万円をもつて相当とする。控訴人は被控訴人に対し原審において本件受傷による損害の賠償として一二一万二、一〇一円(内訳、財産上の損害七〇万三、〇三三円、慰藉料五〇九、〇六八円)を請求していたが、当審において右請求を限縮し、慰藉料として一〇〇万円およびこれに対する履行期後たる昭和三四年三月一七日(本件訴状を陳述した原審第一回口頭弁論期日の翌日)から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、控訴人が本件皮膚障害による醜状痕が永久的なものであることを知り、被控訴人の治療方法に疑念を懐くに至つたのは昭和三一年四月六日紀南病院周参見分院で感冒の治療を受けた際、当時同病院に勤務していた医師前島禎也から説明されたからであり、また右皮膚障害が被控訴人の治療方法の過失に起因することを確実に知つたのは昭和三四年一月三〇日和歌山医科大学付属病院で受診した結果によるものである

と述べ証拠<省略>

被控訴代理人において、

一、被控訴人は控訴人の左頬部に発生した小児手掌大の巨大な海綿状血管腫-表面全般に膨隆し、凹凸著しく深さ約一糎強に及ぶ真紅色を呈していた-を治療してこれを治癒させたのである。もし仮りに治療を加えなければ、前記の症状が残存するのであつて、被控訴人の治療に何らの過失はない。

二、仮りに被控訴人の治療方法に何らかの過失があつたとしても控訴人は大阪大学医学部、和歌山医科大学、その他多数の病院において別に治療を受け、ラヂウム放射線の照射を受けているのであるから、本件皮膚障害を被控訴人の治療行為にのみ帰責するのは正当でない。

と述べ、証拠<省略>

たほか、原判決事実摘示(ただし、原判決三枚目裏一行目から六枚目裏四行目までおよび七枚目裏九行目および一〇行目をいづれも除く)と同一であるからこれをここに引用する。

理由

一、控訴人が生後二ケ月を経過した頃、その顔面左頬部に赤あざのごときものが認められたので、昭和二七年一二月一三日和歌山県田辺市湊所在の社会保険紀南総合病院(以下たんに紀南病院という)において、当時皮膚科医長であつた被控訴人の診察を受けたところ、右患部にラヂウム放射線を照射すればよいというので、その意見に従い、治療を受けるに至つたことは当事者間に争ない。

二、そして被控訴人の行つた右治療の方法および経過ならびに控訴人の顔面左頬部の海綿状血管腫自体は右治療の結果としてほぼその治癒をみるに至つたが、その反面左上顎部から左観骨部にわたる顔面に醜状痕を残胎するに至つたこと、右はラヂウム放射線の照射を受けた際、容器および使用濾過板たるすず板によつて、吸収されなかつたガンマー線およびベーター線の一部が照射され、これによつて生じた淡褐色の色素沈着を主とし、淡白色の色素脱出を一部に混ずる色素異常および皮膚萎縮によるものであつて、その一部に血状と線状の陥没部があつて、一見かなり醜くい様相を呈していること、ならびに控訴人の右皮膚変化は被控訴人の過つた治療方法に基づくラヂウム放射線の過度の照射によつて生じたものであることについては当裁判所の認定もまた原審と同様であつて、その理由は次のとおり付加するほか、原判決がこの点について説示するところ(原判決八枚目裏一二行目から一二枚目裏一〇行目まで、)と同一であるから、これをここに引用する。

(一)  原判決九枚目表一行目から二行目にかけての「鑑定の結果(鑑定書と供述)」の次に「当審における検証の結果」を、九枚目裏六行目および一二枚目裏九行目の「被告本人訊問の結果」の次にそれぞれ「当審における被控訴人本人訊問の結果」を付け加える。

(二)  原審における鑑定人立花和典の鑑定の結果(鑑定書と供述)、当審における被控訴人本人訊問の結果、検証の結果を総合すると、次のごとき事実が認められる。すなわち血管腫は通常皮表より隆起しない単鈍性血管腫と皮表より隆起している海綿状血管腫の二種類に大別せられ、海綿状血管腫の多くはラヂウム治療に良く反応し比較的治り易いが(苺状血管腫)、ラヂウム治療に反応を示さないものもある(蔓状血管腫)。ラヂウム照射は血管腫の治療方法のうちでは比較的多く用いられ、当時の医学において有効適切な治療方法として是認されていたのであるが、ラヂウムを皮膚に照射する場合ある一定線量を超えて照射すると、皮膚炎を起す。この皮膚炎は何らの障害を残さずに治る場合もあるが、又ながく残る障害例えば色素沈着、色素脱失、皮膚萎縮、毛細血管拡張、潰瘍、瘢痕等を招来する場合もある。この障害は原則的には皮膚に照射される放射線量が多い程、又細胞の放射線に対する感受性が高い程大である。そこで以上のようなラヂウム放射線照射の施行に当る医師としては、適応症の選択、投与線量、照射方法(一回の線量、休止期間、総線量)および皮膚に及ぼす影響などについて、理論的かつ経験的に慎重な研究をなし、分割照射によつて反応をみながら施療を進める方式、すなわち、放射線の皮膚に対する影響の有無が完全に現われるまで皮膚の状態を仔細に観察し、その結果をまつてさらに放射線の照射による治療を続行するなどして治療目的に反する放射線障害を起させないように細心の注意を払うべき業務上の注意義務があるというべく、殊に血管腫のごとき非悪性疾患に対しては、皮膚癌のような悪性疾患とは異り、美容的に治癒させることを第一の条件とすることは自明の理であり、控訴人もまたその目的をもつて、被控訴人の治療を受けたものであることは弁論の全趣旨に徴して明かである。従つて、瘢痕、色素沈着又は脱失等の後遺症を遺し、前よりも醜い傷害を与えることは医師としての任務に反するといわねばならない。そして幼児期における控訴人の写真と認められる甲第八号証原審ならびに当審における控訴人の法定代理人嶋中弘明、被控訴人各本人尋問の結果、鑑定の結果(鑑定書と供述)を総合すると、控訴人の血管腫の最もひどい時は昭和二八年二、三月頃であり、皮膚の凹みは同年三月頃より気付かれたのであつて、この皮膚の凹みを放射性皮膚障害と解すれば、昭和二八年三月頃には照射により、血管腫増大の傾向が止り、その頃より放射性皮膚障害を来し始めていることが窺知される。然るに被控訴人は右治療に当り前叙説示のごとき注意義務を怠り、皮膚細胞に変質を来していることに左して留意せず、血管腫の治療にのみ意を向け、漫然放射線による治療を続行した過失により、血管腫はほとんど治癒したものの、いわゆる焼け過ぎとなり、前記のごとき形状の大なる醜状痕を残胎せしめるに至つたものであることが認められる。

もつとも、本件の如くラヂウム放射線による治療によつて当初の血管腫はほとんど治癒したが、反面ラヂウム照射による皮膚障害が残つたという場合にあつては、その障害と血管腫を治療を加えずにそのまま放置した場合とを比較して、前者の方が後者の場合よりも美容的によりよい状態になつたとすれば、右の皮膚障害にかかわらず治療はその効果を挙げ得たものといえるから、右障害の発生をもつて治療上の過失を問責するのは相当であるまい。被控訴人は当審における本人尋問において上叙の意味における治療効果は十分挙げ得たのであるから何等治療上の過失はない旨を弁疎するけれども、控訴人の本件血管腫を治療を加えずに放置した場合それがどのような推移を辿るものであつたかはこれを詳かにする何等の証拠がなく、かえつて甲第八号証の写真と当審における検証の結果ならびに前記立花和典の鑑定の結果総合して考えると控訴人の顔面における現在の障害はほぼ永久的なものであつてむしろ当初の血管腫に比し醜状の点においてその度合いの強いもののようにも認められないではないので、控訴人の右弁疎は到底採用できない。

三、被控訴人は、控訴人は紀南病院以外に大阪大学医学部、和歌山医科大学その他多数の病院においてラヂウム放射線の照射を受けているから、本件皮膚障害を被控訴人の治療行為にのみ帰責するのは正当でないと主張するけれども、当審における控訴人の法定代理人本人訊問の結果によると、控訴人が紀南病院で治療を受けている間他の病院で治療を受けたのは昭和二八年四月に受診した阪大病院と和歌山市の滋野医院の二ケ所であり、いづれも一回短時間(一〇分以内)照射を受けたに止り、昭和二八年一一月自発的に治療を中止したのは、患部の皮膚障害をみて、これ以上治療を続行させるに忍びず、控訴人の法定代理人において紀南病院への通院を中止せしめたものであることが認められるから、他に別段の反証のない限り、その後は他の病院でも治療のためラヂウム放射線の照射を受けていないものと認めるを相当とする。ところで右認定の阪大病院と滋野医院での二回のラヂウム放射線の照射が本件傷害の発生とその原因関係において競合していることについては被控訴人において何ら立証しないところであるのみならず、被控訴人はその後も引続き昭和二八年一〇月末日までラヂウム放射線による治療を続行していたのであるから、仮りに厳密な意味において右二回のラヂウム照射と控訴人の皮膚障害との間に何らかの因果関係が存するとしても、このことにより、被控訴人の前記治療行為と控訴人の本件皮膚障害との間の因果関係を全く否定し去ることはできないのであるから、右主張は失当である。

四、次に被控訴人の消滅時効の抗弁について判断するに、控訴人の法定代理人が昭和三四年七月七日の原審口頭弁論期日において、被控訴人の治療上の過失による損害の発生を始めて知つたのは昭和二八年四月頃和歌山医科大学附属病院で診察を受けたときである旨陳述し、被控訴代理人が昭和三六年二月六日の原審口頭弁論期日において右陳述を援用し、右昭和二八年四月より三年を経過して、昭和三一年四月の経過とともに控訴人の損害賠償請求権は時効により消滅した旨抗弁するに及び、控訴人法定代理人は昭和三九年七月二〇日の原審口頭弁論期日において右陳述は真実に反し且つ錯誤に出たことを理由としてこれを撤回し、被控訴代理人において右自白の撤回に異議を留めたことは本件記録上明かである。

よつて按ずるに、当審における証人松中成浩の証言により成立を認める甲第九号証成立に争ない乙第六号証、右証人松中成浩の証言当審における控訴人の法定代理人本人尋問の結果を総合すると、他に別段の反証のない限り、控訴人は昭和二八年中に和歌山医科大学附属病院において診察を受けた事実はなく、却つて被控訴人が紀南総合病院での治療をやめた後その法定代理人において他の一、二の医師から控訴人の皮膚障害についての所見をきかされたり、また素人目にも右障害が日時を経ても一向によい経過を辿らないことなどからして、ついにこれを永久的の障害と気付くに至り昭和三三年一二月九日被控訴人を相手方として慰藉料請求の調停申立をするに至つたことが認められるので、これらの点からすれば、被控訴人の側において控訴人の治療上の過失および損害の発生を確定的に了知したのは右調停を申し立てた直前頃と認めるのが相当であるから、控訴人の右自白は真実に反し錯誤に出たものとして、その取消を許すべきものとする。そうだとすると、控訴人が本訴を提起したのは、右確知の時から三年以内たる昭和三四年一月二八日であるから、被控訴人の時効の抗弁は理由がない。

五、よつて進んでその損害額について判断する。

成立に争ない甲第一号証、当審における控訴人法定代理人訊問の結果、検証の結果によると、控訴人は昭和二七年一〇月一日嶋中弘明同ゑいの四女として肩書住所において出生し、爾来同所で父母の愛護の許に成育し、現在中学二年在学中であること、控訴人の父嶋中弘明は電々公社に勤務しているものであること、控訴人の顔面醜状痕は左上顎部から左観骨部にわたる部分で一見してよく分り、その痕の周囲は淡紅色で中は黒ずみ、処々に白点や一部皮膚欠損部分が見られること、右のごとき皮膚障害は恐らく生涯消えることのない、しかも人目につき易い顔面部における醜状痕として残胎するであらうから、殊にうら若い女性である控訴人として自己の容貌に関し、終始劣等感に悩まされ、将来良縁を得るに支障となる虞のあることも想像するに難くない。かくて以上の事実と、現在皮膚障害を生じている部位には当初血管腫が存在し、本件治療を加えなければあるいは右症状が残つているかもしれないこと、その他本件における諸般の事情を参酌するときは、控訴人の精神上の苦痛に対する慰藉料は金五〇万円と算定するをもつて相当とする。

然りとすれば、被控訴人は控訴人に対し右五〇万円およびこれに対する履行期後たる昭和三四年三月一七日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、控訴人の本訴請求はその限度においてこれを正当とし、その余は失当として棄却すべきものである。よつて控訴人の本訴請求を全部排斥した原判決は一部失当たるを免れないからこれを右のように変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第九二条本文仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小石寿夫 宮崎福二 松田延雄)

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